━━━投稿してみて、初めて見えた景色がありました
以前の記事でも触れたことですが、 先月くらいから趣味で書いていた小説を、いくつかの場所に投稿してみました。
掌編小説はnoteへ。
ライトノベル調の長編は、いわゆるなろう系の投稿サイトへ。
少しネタ寄りのものはpixivへ。
これまで私は、完全に「読む側」でした。
ランキングを眺めて、流行を知った気になって、
面白い作品を見つけては、ただ楽しむだけの立場です。
ところが、書く側として投稿してみると、
それぞれの場所に、まったく違う空気があることに気づきました。
特に、なろう・カクヨム。
あそこは、穏やかな川ではありませんでした。
はっきりとした流れがあり、速さがあり、そして「激流」だと感じました。
今回は、その激流を前にして感じた迷いや揺らぎを、
自分なりに整理しておこうと思います。

なろう・カクヨムが「激流」だと感じた理由
投稿してすぐに分かる、スピード感
まず、作品数と更新頻度が圧倒的です。
新しい作品が、次々と流れていきます。
ランキングは常に動き、
昨日見た景色が、今日はもう違っている。
少し目を離すと、あっという間に飲み込まれてしまうような感覚があります。
これは、読者として眺めているだけでは、
なかなか実感できなかった部分でした。
流行ジャンルが「共通言語」になっている世界
さらに印象的だったのは、
流行ジャンルが、ほとんど共通言語のように機能している点です。
悪役令嬢、ざまぁ、最強、ダンジョン配信。
長文タイトルに、分かりやすいタグ。
それらは、読者にとっての「約束」なのだと思います。
読む前から、どんな物語で、どんな快感が得られるかが分かる。
とても合理的で、無駄がありません。

「流行に乗れたら読まれる」は、確かに本当でした
実際、流行を意識した作品の方が、
そうでないものより反応をもらいやすい場面はありました。
タイトルとタグだけで、
「これは自分向けだ」と判断してもらえる。
その入口に立てるかどうかが、まず大きな差になります。
マーケティングとして考えれば、
これは非常に正しい仕組みだと思います。
流行に寄せることは、迎合ではなく、
読者に届くための工夫なのだと、頭では理解できました。

それでも、どこか噛み合わないと感じた理由
創作とマーケティングが、別の言語を話している感覚
一方で、流行を意識すればするほど、
書きながら立ち止まる瞬間が増えました。
書き出し。
展開。
キャラクターの立ち位置。
「ここは、こうした方が読まれやすい」
そう考える自分が、常に横にいる。
それが悪いわけではありません。
でも、その思考が強くなるほど、
文章から少しずつ、自分の温度が抜けていくような感覚がありました。
読まれたい気持ちと、書きたい気持ちの距離
読まれないことは、正直つらいです。
存在しないのと同じだ、と感じる瞬間もあります。
けれど、流行に完全に合わせて書くことにも、
どこか抵抗がありました。
これは、私のわがままなのだと思います。
それでも、この違和感は、簡単には無視できませんでした。

「乗る/乗らない」ではなく、どう使うかの話
流行は「目的」ではなく「入口」だと考えてみる
考えた末に、
今のところ、私はこう整理しています。
流行は、作品を読者のもとへ運ぶための入口。
輸送路のようなものです。
その入口を使うかどうかは戦略であって、
中で何を書くかまでは、規定されていない。
そう考えると、少し気持ちが楽になりました。
外側だけ借りて、中身は自分のまま
タイトルやタグは、市場に合わせる。
でも、文体や視点、テーマまでは、無理に変えない。
すべてを合わせようとしない。
合う部分だけを借りる。
今は、そのくらいの距離感が、
自分にはちょうどいいのだと思っています。

今のところの、私なりの結論(仮)
流行に乗ること自体は、悪いことではありません。
むしろ、読まれる仕組みを理解することは大切です。
ただ、流行だけを目的にしてしまうと、
書き続けることが苦しくなる気もしています。
だから私は今、
流行を知りつつ、使えるところだけ使う。
激流だと分かった上で、
無理に泳がない選択肢も持つ。
そんな立ち位置で、しばらく書いてみようと思います。

まとめ|流行を見ることと、距離を取ることは両立できる
WEB小説の流行は、確かに強い波です。
人気があり、商業化にもつながりやすい。
でも、その波をどう扱うかは、書き手次第です。
迷っている人は、きっと少なくないと思います。
私も、その一人です。
答えを出す必要は、今はないのかもしれません。
立ち止まりながら、考え続けること自体が、
創作の一部なのだと思っています。
💡流行をマーケティングと捉えて、どんな「形」の小説が今読まれているのか、そういう分析記事も書いてみようと思います。





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